ハプスブルク家の女たち 江村洋著

ハプスブルク家といえば、言わずも知れたヨーロッパの貴族。彼らは元々ドイツ系であるが、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得し、ヨーロッパで有名な城を訪れると、必ずと言ってもいいほどハプスブルク家の血縁者が出てくる。

私が興味を持ったのも、観光でいくつかの城を訪れた際にお姫様たちの逸話に触れたのがきっかけだった。

特に印象的だったのは、ウィーンのシェーンブルン宮殿。マリア・テレジア以降のハプスブルク家が夏の離宮として、好んで逗留した宮殿である。

マリア・テレジアなくして、ハプスブルク家の女たちを語ることはできないと言っても過言ではない。

彼女が女帝となったのは23歳の時。父親であり皇帝であったカール6世が急逝すると、王子がいなかったことからハプスブルク王朝の女王とされたマリア。政治の手ほどきすら受けていなかった彼女にプロイセンなど周辺諸国は禿鷹さながらに襲いかかる。

当時すでに二児の母、しかも身重であった彼女がどうしたかというと、敵に対して雄々しく立ち向かい、父から受け継いだ広大なハプスブルク帝国を立派に守り通したのだ。

これだけでもすごいと思うが、彼女はなんと16人もの子供を産んだ。国家存亡の危機の中、国家のトップとして作戦の立案から軍隊の配備まで自ら行い、オーストリア帝国の屋台骨を一人で背負いながら20年のうちに16回も出産したというのだ。彼女の凄さが想像できるだろうか。

しかもそれだけではない。子供たちが成長すると、親としてそれぞれの将来を采配する。王子には就職先を、王女には嫁ぎ先を。

マリア・アントーニア、すなわちマリー・アントワネットはマリア・テレジアの末娘であり、パリを舞台に数奇の運命をたどった王妃をして有名であるが、彼女の結婚ももちろん政略結婚。

このように女傑そのもののマリア・テレジアだったが、彼女は愛に生きた人でもあった。当時の貴族としては珍しく、初恋の相手フランツ・シュテファンとの結婚が叶い、フランツが急逝するまでの約30年間さしたる風波も立てずに愛し愛された歳月を送ったという。

1765年にフランツが急逝してからは、マリアは生きる気力を喪失したかのように、ひたすら逝ける夫のことを思って嘆き悲しむばかりだったという。当時マリアは48歳、これ以後彼女が死ぬまで喪服を脱ぐことはなかったそうだ。

彼女が生んだ王子・王女の中から成人したのは10人。当時はまだ医療が発達しておらず、天然痘などで子供のうちに命を奪われることも少なくなかった。本書では、残った10人の運命もそれぞれにたどっていく。

あまりにも強烈なマリア・テレジアのことばかり書いてしまったが、本書には他にも、皇帝たちの活躍の裏で彼らと共に生き、喜びや悲しみをともにした皇后や公妃たちのストーリーがいくつも描かれている。読みながら、当時のハプスブルク家の様子が立体的に想像できるのが面白い。

ハプスブルク家にまつわる史跡を訪れる際に読んでおけば、彼らの当時の様子がよりリアルに感じられること間違いなし。本書に出てくる土地はヨーロッパのみならず、南米にまでおよぶ。

ハプスブルク家ゆかりの地を廻るのも面白そうだと旅行計画を立てようかと思っている。女の一生について考えてみたい人、旅行をより深く楽しみたい貴女におすすめの本だ。

Written by 藤村ローズ(オランダ)