異類婚姻譚 本谷有希子著

 

夫婦という閉じられた世界

数年前、学生時代の友人とその夫、わたしとわたしの夫の4人で会ったときのこと。4人で食事をし、その後、友人の運転する車で店から駅まで送ってもらいました。

友人が運転席、友人の夫が隣の助手席に座り、我々夫婦が後部座席に乗り込み移動していました。しばらくは静かにドライブしていたのですが、友人の夫が「ほら、そこで曲がらなあかんやろ!」と友人の運転に少し強めにつっこみを入れました。

それに対し友人は「それならもっと早く言ってよ!」と言い返し、軽い言い合い状態に。わたしは後部座席で「まあまあ・・・」と弱々しく笑うしかありません。

本人たちにとっては特別なことでもなんでもない、普段の会話だったのだろうし、客観的に見ても夫婦喧嘩というほどでもない他愛もないものでした。

でも、いつも優しく、どちらかというと物静かなタイプの友人が、ちょっと怒ったような物言いをしているのが新鮮で、「こんな風になるのね」と軽くショックを受けたのを覚えています。

この世には無数の夫婦、カップル、家族がいて、それぞれが独自のルールを持った小さな共同体として存在しています。

同じ場所で寝て、同じものを食べ、同じ景色を見る。たくさんの時間を共有することで生まれる、その「中の人」にしか分からないルールや言葉。その共同体の空気は濃密でいて、完全に閉じられています。白っぽい半透明のビニール袋の中に、何かがいっぱい詰まっているような。

袋の口は固くゴムで縛られていて、目をこらせば中身がうっすら見えるような気がしますが、何が入っているかは外からは見えません。外からは、その出てきた一個人と接することはあっても、その袋の中を直接覗くことはありません。

でも何かの拍子で、その袋の中を垣間見てしまうことがあります。わたしの友人は、袋の外にいるわたしに、袋の中の友人を見せてくれたのです。

 

親密な時間を過ごす代償

本書、異類婚姻譚の主人公は数年前に結婚して現在は専業主婦、新婚と呼ぶにはちょっと年月が経過しすぎていますが、夫とは大きな問題なく暮らしています。しかしある日、夫の顔を見ると自分の顔とそっくりに変わっていることに気が付きます。

似ている、と言うより、崩れていると言ったほうがふさわしいぐらいの、あまりの夫の顔の変化に困惑した主人公は、その日を境に夫の行動や言動に違和感を覚えるようになります。夫から逃げたい、距離を置きたいという気持ちが日増しに強くなるのですが、それができません。

自分以外の何かに阻まれているのではなく、結局のところ、安定していて不満のない今の生活を捨てる理由が見つからないのです。

「夫婦の顔がだんだん似てくる」というのは世間でよく言われていて、ありふれた現象であるようです。

その理由をネットで調べてみると「同じものを食べてるから肌の質感が似てくる」だとか、「同じ経験をして笑ったり泣いたりするから表情が似てくる」だとか、それらしい文面が並んでいます。そしてこれらは概ね、「夫婦が長年連れ添った結果であり、微笑ましいこと」として語られています。

しかし、本書を読むとそれが果たして微笑ましいだけのことなのだろうか、と考えずにはいられません。

それはその夫婦が、夫婦だけの親密な時間を過ごしているということであるのと同時に、他人には決して踏み込めない閉ざされた時間を過ごしている証拠でもあるのです。

自分たちが今、当たり前と思っていること、それが他人から見るとギョッとするようなことである可能性も否めません。外から見て変である、というだけあればいいのですが、それがいつの間にか本人たちを苦しめてしまっている場合も、残念ながら存在していると思います。

袋の中の世界が息苦しいと感じたら、袋の中に誰かを招いたり、袋から出てみたり、思いきって破いたりしてみる必要があるのかもしれません。

 

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Written by げんだちょふ(日本)