ロックダウンで考える、自立とは何か

国際的な女性の中には「自立した女性」が多い

ロックダウン生活がこんなに長引くなんて思っていなかった、昨日Zoomでおしゃべりした友人がそう言っていました。

今いらっしゃる国、地域、状況によって「Withコロナ時代」への感じ方は違うと思います。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

今回はWithコロナ時代の人との繋がり方、そして「自立とは何か」について考えてみたいと思います。

コロナ、ロックダウン、#stayhomeの流れで最近改めて強く感じているのは、「人に頼ろう、繋がろう」ということです。

「日本では生きづらい」「もっと自由に生きたい」「私という個性が尊重される場所にいたい」そんな風に、海外に出て行く女性たち。「国際恋愛がしたい」「国際結婚がしたい」「日本人とは、合わない…」

そんな風に日本人以外の男性と歩むことを選ぶ女性たちがいます。

インターナショナルな女性たちの中には「自立した女性でありたい」という願いを抱いている方が多いように感じます。

「かっこいい女でいたい」「男の言うことばかり聞くような女でいたくない」「私は私よ」「自分で生きて行くわ」そんな風に。

 

「自立」ってなんだろう?

では、自立とはなんでしょうか?

自分を許した時に初めて「真に自立した」と言えるのではないでしょうか。つまり怒りを抱いていない状態。競争していない状態。何かを証明しようとしていない状態。

親との関係やこれまでの自分が生きてきた道を振り返った時に、「色々あったけど、あたし、がんばったよ。みんながんばったよね。うん。」と自分と周囲の人々を許し、認めることができる状態が「自立」であると私は考えています。

言い換えれば、今の自分を「誰か」や「何か」のせいにしていない状態です。

しかしながら、「日本的な、男に従属する女性のジェンダー像」を否定したい、「日本的な価値観」を押し付けられて傷ついた過去がある、「私はそんなものに屈しない、私は私よ、どうして自由に生きられないの?」という反発と葛藤と意思がある余りに、実は自ら生きづらい状態を作り出していることがあります。

「自立」を「誰にも(男に)頼らないこと」や「自分で自分の世話をすること」ととらえ、「自立したかっこいい女性」でいようとするが故に、周りから勘違いされて敵を作ってしまったり、腹を割って付き合える友だちが出来にくかったり、国際恋愛や国際結婚が喧嘩、衝突、怒りに溢れた関係を築いてしまうこともあります。

 

自分を許して、横に繋がり、支え合おう

心当たりがある方は「誰のために自立しようとしているのだろう?」「何に負けたくないと思っているんだろう?」そんな風に振り返ってみてください。

ロックダウンによりこれまで機能していた経済活動が突然停滞したことで、オンライン上で皆が助け合う動きを沢山目にします。

私自身、おこもり期間になってからの方が自宅にいながら沢山の方と出会うことができていて、すごく刺激に溢れた毎日です。

毎日色んな方とお話したり、本を読んだり、メール交換をしたり、ロックダウン前よりも多く成長機会を得ているような、以前よりもより多く人のやさしさに触れているような気がしています。

誰もひとりじゃ生きられれないし、ひとりでがんばる必要もない。困ったら、助けて、って言えばいい。

「助けられては、借りができる」と考えるのではなく、助け合うことはWin Winだと考えてみてください。競争じゃない。勝ち負けじゃない。

負けたくなくて、戦い続けて勝ったとしても、その頂上決戦の後に勝ち残ったあなたは頂上で、ひとりぼっちになってしまいます。そんなのさびしい。

作家の本田健さんが動画内で「平成というのは平和が成ると書きます。戦争がひとつもなくて本当に平和な時代だった」そして「令和は”ゼロ”になる、そこからハーモニーを生み出す、和を生み出す時代。これがテーマだ」というお話をされていました。(43:00頃~)

コロナにロックダウンに#stayhomeの狂乱の時代。自分を振り返り、一度ゼロにリセットするチャンス。

「かっこいい自分」でいるために我を張りながら、ひとりでなんでもできると「がんばる」と疲れてしまうから。

自分に何ができるのかを考え、それを提供し、受け取りがながら周りの人たちと「和」を生み出す。

ひとりひとりがこうして「自立」することができたなら、やさしい世界になるだろうな。そんな風に思っています。

Written by 佐古祐子(アメリカ合衆国)